(2025、7,6)の記事
新しくこの「ムラゴン・ブログ」で記事を書き始めての2回目です。私は目の不自由さもあって、ほとんど今では自分一人では何もでき無い有様ま。それで、このブログの開設のすべてを、娘がしてくれました。第1回目の記事はほんの自己紹介でしたが、うれしいことに、早速お二人の方からご挨拶のメッセージが送られてきました。ありがたい者です。しかしながら、私からお礼のメッセージを送信できません。何度か試みましたが、肝心のところがうまくできないのです。また娘が家に来た時に頼んでみます。
最近のことですが、叔母が96歳で永眠しました。もう何十年も合わなかったこともあり、通夜も葬式も遠慮しようと思っていたら、兄からの「通夜だけでも行こうか」の誘い話に始まり、結局のところ、弟も一緒に京大3人が斎場にまで行くこととなったのですよ。通夜の日のこと。会場には、叔母の親族で、私の従妹とその旦那様と子供さんのみ。そして私たち兄弟だけ。そんな雰囲気の中、これではあまりにも寂し過ぎるので、明日の葬儀にもぜひ出席してほしいと従妹から頼まれた次第。
私たち兄弟も、会場にいる間に、それを感じてもう覚悟?は決めていたのですよ。私は目の悪さもあり、外出は命がけとなります。オーバーな物言いですが、偽らざる心境でもあります。まあ、一歩でも外に出れば、なんでもない話となりますが、引きこもりというか家に閉じこもることに慣れ過ぎてしまったので、少しのことがとてつもないほどにオックウとなるのですよ。そんな私ですが、叔母を見送ることができて良かったと思うばかり。私の父もあの世で喜んでくれたに違いありません。
それでもやはり久しぶりの外出のせいなのか、その日の夜から2,3日は横たわるばかりでした。グロッキーです。。とにかく体力はすこぶる低下していますね。ここ2か月近くは、これまで書き上げてきた文書を再整理し、まとめ直すことに没頭していたんです。本当に大変でしたよ。もう、これが最後になるかもわからないと、必死に食らいつきました。まあ、それほどまでに奮闘したのですが、成果は自己満足の域を出ることはありません。それでもかまわないし、それが一番なのですよ。おそらく、相当の誤字や誤りがあるのは必至ですが、もう、「後は野となれ山となれ」のことですかね。
ここまで書き進めてきましたが、どうしてこんな内容の記事を書こうと思ったのかといいますと、第1回目の私のブログ記事に、一番最初にメッセージをくださった方のブログ記事を拝読したからなのですよ。「おくりびとの日記」の記事です。是非とも、目をとおされることをお勧めします。
また、「dalichoko(ダリチョコ)」様からもメッセージをいただきました。今後とも、どうかよろしくご教示のほどお願い申し上げますね。
最後に、私事で恐縮ですが、苦労してまとめました上で少し言及しました文書をPDFの形に仕上げました。それをネットに公開しようと何度もチャレンジしたのですが、ややこしいアプリと言いますか、何かの器機がありませんので、今はできません。もしそれができれば、ネットで検索して読んでもらえれば、と思います。
とにかく暑い日が続きますので、くれぐれもご自愛くださいよ。